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Synnuminose

こっそりする

嗜好としての助ける相手の数

認知症を含めた精神科的な領域の疾患を疑うことの難しさ。

誰よりも本人にとって、そして周囲の人にとっても、一つの人格が依って立つ基盤について疑義を差し挟むということは、想像するのが難しいほどの負荷になりうると思います。

ここでいう基盤というのは、肉体でも、精神でもありえますが。

 

誰かがよりよい時間をより長く過ごすことの役に立てたら、私の言葉がその支えになったら、これほどうれしいことはありません。

私が演じる役割がどれほど小さくても、助けになれる相手が1人だけでも、私にとっては今まで勉強してきた理由になります。

この間、「将来的に何十万、何百万人の人の役に立つ研究をしなければ」と、ビジョンをしっかり持つようアドバイスをもらいました。

研究にはお金がかかるし、そのためのお金は基本的に社会から「分けていただいた」お金であるし、還元できる相手は多ければ多いほど社会のためになるから、これは正しい意見であると思います。

でも私の実感としては、研究でも、ほかの仕事でも、誰かにとって善きことができるのであれば、相手が1人でも本当に構わないのです。

それは倫理観や社会学的な意見ではなく、私が個人として何をしたいと感じるかという嗜好の問題です。

 

私のような若造の言葉は社会の中で紙ペラ一枚ほどの重みも認めてもらえないかもしれないけれど、私が積み重ねてきた勉強を根拠として、誰かが私の言葉に耳を傾け役立ててくれるとしたら、これは本当にうれしく、ありがたいことです。

これが私が一番やりたいと思い、一生をかけられると感じることなので。